「処方箋印刷医者」という職種の出現

― 説明のいらない医療、医師のいらない診察 ―

診察室に入ったとき、医師は目を合わさず、キーボードに向かったままこう言う。
「はい、今日はいつものお薬出しておきますね」
これが今や、“標準的な診療”と化しているなら、もはや我々が向き合っているのは人間の医師ではなく、医師免許を貼り付けた処方箋プリンターである。


◆ 「薬のことは聞けませんでした」という患者の声

「忙しそうだったから…」
「他に待っている人もいたので…」
「なんとなく聞けない雰囲気で…」

――こうした前置きとともに、患者は自分が何の病気と診断されたのか、どんな薬を処方されたのかをまったく知らずに帰ってくる。
そして薬袋に印刷された「毎食後」だけを頼りに、まるで呪文のように飲み続ける。

これは一体、いつから“当たり前”になったのだろう。


◆ 医師免許付き自動販売機の誕生

かつて、医師とは「診断し、説明し、共に治療方針を考える専門職」だった。
だが今や、診察室の中でそれらを求めるのは、回転寿司で板前に話しかけるようなものである。

・病名は言わない
・理由も説明しない
・薬は黙って出す

この一連の流れが完成すれば、あとは診療報酬を請求するだけ
もはやこれは、医療ではなく「形式化された押印業務」である。


◆ 病名すら伝えられない、という滑稽さ

処方には必ず病名コードがついている。これは診療報酬請求上のルールだ。
だが、その病名が患者本人には伝えられていない。なぜだろうか。

  • 病名を言って説明すると面倒だから

  • 言ってもどうせ理解されないから

  • そもそも診断に自信がないから

どれも考えられるが、最大の理由はこうだろう。
「言わなくても、誰も文句を言わないから」

つまり、医師が病名も薬の目的も説明せずとも、患者も制度も文句を言わずに回ってしまう。
こうして「無説明医療」という奇怪な慣習が、白衣のもとに温存されていく。


◆ “忙しい”は免罪符か?

もちろん、外来は忙しい。1人あたり5分もかけられないこともある。
だが、“忙しさ”を理由に説明を省くことが許されるなら、もはや医師である必要はない。

説明をしない診察、問診すらない診療、
それでも処方だけはきっちり出る。

それは、臨床医学の成れの果てか、あるいは診察時間の最適化という名の無内容化か。


◆ 処方箋を出すだけの存在なら、ドラッグストアで足りる

「とりあえず血圧の薬だけ出してください」
「いつもの睡眠薬をください」
こうした“再診”に対して、何の疑問も持たず、いつものボタンをクリックする。
そこに医師の判断はあるのか? 医師の職能はあるのか?

処方だけを目的とするのであれば、それはもう医師でなくていい。
セルフレジでも事足りる。


◆ 説明がないことで何が起きるか

・患者は薬の意味を知らない
・効果の有無を自分で判断できない
・副作用が出ても、薬のせいだと気づけない
・治療のゴールがどこか分からない

つまり、患者は治療の主体であることを奪われる
医師の頭の中だけで完結する治療――それはもはや、患者を置き去りにした儀式に近い。


◆ 「説明しない医師」を肯定する社会構造

「先生は偉いから質問なんて失礼」
「忙しいのにご迷惑をかけては…」
「処方されるだけありがたい」

――このような“配慮”によって、患者側からの問題提起も抑圧されている。
つまり、説明しない医師と、聞けない患者が、奇妙な共犯関係を形成しているのが現状である。


◆ そして、医療がただの事務処理になる

カルテに病名コードを打ち込み、処方箋を発行し、明細書を添えて印刷。
それをルーチンのように繰り返す。

これが、“医療”として成立してしまう時代になった。

説明はいらない。質問も受け付けない。
ただ淡々と薬を出し、次の患者に切り替える。

そんな「診療のようなもの」が、白衣を着てなされている。


◆ それでも医師であることの意味を問いたい

では、医師とは何なのか。
薬を出すだけの存在か。病名コードを打ち込む係か。患者を回す装置か。

私は、そうは思いたくない。

医師は、情報を翻訳する人間であるべきだ
病気の正体を、薬の役割を、治療の目標を、患者の言葉に置き換えて伝える存在であるべきだ。

そうでなければ、もはやAIで十分ではないか。
AIなら黙っても正確に薬を出す。
だが、それは「人を診る医師」ではない。


◆ 結語:「印刷だけの医療」に価値はあるか?

言葉も、表情も、説明もない診察室で、
ただ処方箋だけがプリントアウトされる。

そんな医療に、何の価値があるだろう。
それが“忙しいから仕方ない”で済まされるのであれば、
我々の職能は、やがて紙とインクに飲み込まれて消えていくだろう。

そしてそのとき、誰が「医師の価値」を守ってくれるのか。

その問いに答えるのは、他でもない。
今ここで、処方の意味を伝えている我々自身のはずなのだ。

とひとりごつ